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長濱ねる [芸能]

ソロ写真集『ここから』が発行部数18万部を突破した欅坂46・長濱ねる。人気アイドルグループのメンバーとして、順風満帆な歩みを見せてきたかと言えば、決してそうではなかった。欅坂46の最終オーディションで最終審査を辞退したこと、グループの“特例加入”や“兼任解除”の葛藤。10代の女の子が抱えるには大きすぎるプレッシャーとどう向き合ってきたのか? 知られざる本音に迫る。

【貴重写真】“特例”で加入した2015年当時 ミニスカ姿の長濱ねる

■最終選考の直前、母親に実家に連れ戻された過去も「神様に戻されたのかなって…」

 長濱は坂道グループに加入する前、母親に長崎に連れ戻されたことがある。当時について聞くと、「オーディションを受けたことも、東京に一人で行ったことも全部が初めてだった」と懐かしそうに振り返る長濱。しかし、欅坂46の最終オーディション進出が決まった最中、心配した母親が長濱を連れ戻しにきたのだ。

 「諦めたというか。それまで自分の想像するレール通りに進んでいたので、うまく神様が元に戻すような人生になってるんだなって…」そう感じたのだという。その後、地元に帰った長濱は実家で号泣。それを見た両親が欅坂の運営に嘆願し、再び加入のチャンスを得ることになる。

 当時は心配していた両親も、今では長濱の一番のファンであり、よき理解者でもあるという。「父も母もライブに来てファンになってくれました。父は毎日メールを送ってくれて優しいです。母も私のことを第一に考えてくれてます。東京に出て、改めて自分が育ってきた環境って幸せでありがたいことなんだって実感しています」と笑顔で話す長濱。

 自分が選んだレールは正しかったのか?「私は絶対こっちが正しかったなと思ってます。1回も後悔したことないです」そう語る長濱の表情に迷いはない。

■擦り減った“体力”と“精神” 受け入れざるを得なかった「兼任解除」

 加入後の活躍は目覚ましく、欅坂46とけやき坂46を兼任し、グループの顔役としてもメディア露出が増えていった。ソロ写真集『ここから』が発行部数18万部を突破するなど、彼女の“歩む道”は順風満帆にも見えたのだが――。

 「どちらも凄くお仕事をいただいていて、みんなで少しずつに前に進んでいるときでした。でもツアーなどもあって、『自分の存在がどっちにもマイナスになっているかもしれないな』って悩みもありました」と、当時の葛藤を打ち明ける長濱。

 坂道グループはメンバー数も多く、ダンスのフォーメーションも複雑。当然、長濱がレッスンに参加できない場合はその影響が全員に及んでしまう。体調面だけでなく、精神面でも疲労していた長濱にとって、“欅坂46専任”という道は受け入れざるをえない選択だった。「だから、欅坂46専任の役割をいただいたからには、誠意をもって頑張ることが一番いいんじゃないかなと心掛けています」と、現在の意気込みを語ってくれた。

■平手友梨奈が背負うセンターとしての責務 「いかに頼っていたのか改めて気づいた」

 そんな、自身の“苦悩”を経験しているからこそ、欅坂46のセンターを6作連続で務める平手友梨奈への想いは強い。

 「平手は末っ子で最年少なんですけど、どれだけの責任やプレッシャーを背負ってもらっていたのかなって。自分たちがいかに頼っていたのか、改めて気づいた部分もあります」と語る長濱。続けて、「平手が休んでから、全員が『自分を見てもらおう!』と意識するようになった」とも。

 アイドルグループのセンターが担う重圧はそれほどに重い。「坂道AKB(AKB48グループ、乃木坂46、欅坂46からなるグループ)でセンターを1回やらせていただいたんですけど、必要以上に孤独に感じて…周りは自分のことを何とも思ってないし、『自分はうまくできてないんじゃないか』と必要以上に心配になって…。平手は今まですべてのシングルをセンターやってくれて、今の欅坂46のイメージを作り出してきてくれたので、素直に尊敬します」と平手への感謝を何度も口にした。

 「平手を始め全員がいることが一番良くて。一人でもメンバーがいないとしっくりこないんです。でも、しっくりこない、うまくいかないではダメで、その時を見に来てくださっている方にいいものをお届けたいっていう気持ちがあります。なので、気持ちはみんな強くなったと思います!」
タグ:長濱ねる

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