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長嶋一茂 [芸能]

テレビ業界では今、長嶋一茂が大ブレークしている。朝の情報番組からゴールデンのバラエティ番組まで幅広く数多くの番組に出ている。一茂はプロ野球の世界から引退した後、タレントに転身した。タレントになって約20年が経った今、なぜ彼が改めて脚光を浴びているのだろうか?

 一茂というと、一般的には「天然ボケ」のキャラクターで知られている。飄々とした態度でとんちんかんな発言を連発する姿が笑いを誘っている。自宅の壁に「バカ息子」と落書きをされた事件のときに「うちには娘しかいないんだけど」と不思議がったという話はもはや伝説となっている。

 しかし、彼がただの「天然ボケタレント」にすぎないのであれば、これほど長期にわたって人気を保つことはできなかっただろう。一茂が愛される理由は、そのとぼけたキャラクターの裏に人としての深みが感じられるからだ。

 一茂の父親は長嶋茂雄。言わずと知れたプロ野球史上最高のスーパースターである。そんなスターの息子としてこの世に生を受けた一茂は、裕福な家庭で生まれ育った。確かに金銭的には「何不自由ない暮らし」をしていた。だが、一茂の少年時代はある意味では不自由そのものだった。

 同世代の子供の中でも飛び抜けて体が大きかった一茂は、スターの息子として小さい頃からマスコミに注目され、カメラを向けられてきたからだ。小4のときに地元のリトルリーグのチームに入って野球を始めると、練習場には大勢のマスコミが詰めかけた。父の茂雄が現役引退を表明して日本中に衝撃を与えたのはその前年だった。マスコミの人々は、茂雄の才能を継ぐ者として小学生だった一茂の一挙手一投足に注目していた。

 野球の練習が終わり、友達同士で楽しく話していると、そこにカメラを構えた記者たちが近寄ってくる。それに気付くと、友人たちは一茂のもとからスッと離れていってしまう。思春期の彼にとって、それは途方もなく悲しいことだった。1年ほど経って、そんな生活にうんざりして野球をやめてしまった。

その後、一茂が野球を再開したのは高校に入ってからだった。読売ジャイアンツの監督だった茂雄が成績不振を理由に突然解任されたことに憤り、父の敵討ちをするためにプロ入りを決意したのだ。

 中学時代のブランクを埋めるため、一茂は必死で練習を重ね、何とかレギュラーの座をつかんだ。父と同じ立教大学に進み、そこでも野球に打ち込み、念願のプロ入りを果たした。

 しかし、プロの壁は厚かった。満足の行く成績を残せないまま、最後には父が監督を務めるジャイアンツで戦力外通告を受け、引退を余儀なくされた。

 夢に破れた一茂は絶望に陥り、極度のストレスから自律神経失調症に悩まされるようになった。たびたび過呼吸に陥り、飛行機に乗るたびにパニック障害を発症していた。

 そんな出口の見えない日々の中で、助け船を出してくれたのが明石家さんまだった。現役時代に一緒にゴルフをしたとき、さんまは「野球やめたら、俺がやってる番組全部来いや」と言った。その言葉通り、さんまの番組から次々にオファーが舞い込み、一茂はタレント活動を始めた。その後、俳優業、スポーツキャスター、映画監督など、一茂は芸能界でどんどん仕事の幅を広げていった。

 一茂は決して苦労知らずのお坊ちゃんではない。幼い頃からマスコミに追われ、日本中の期待を背負ってプロ入りを果たすも活躍できず、大きな挫折を味わった。その後にも精神的に不調をきたし、苦難の日々を乗り越えてきた。

 そんな彼は、テレビの中でも空気を読まずに言いたいことを言える貴重な存在である。現在の自身のブレークに関しても「一過性のものでしょ」と他人事のように淡々としている。専門分野のスポーツに関してはまっすぐに鋭いコメントをする姿が評価されている。先日のロシアW杯のポーランド戦で日本代表が時間稼ぎのようなプレーをしたことについても全面的に擁護してみせたりするなど、周囲の反応を気にせず正論を堂々と口にする。


 彼の飄々とした態度の裏にあるのは、弱さを知る人間の強さである。挫折を知らない者は本当の意味で強いとは言えない。幼い頃から日本中の注目の的となってきた一茂は、それでもテレビタレントとして人々の好奇の目にさらされながら生きる道を選んだ。他人の目を気にしてばかりの人が増えている時代だからこそ、彼の悟りきったような生き方が人々に好印象を与えているのだろう。
タグ:長嶋一茂

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