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本田美奈子 [芸能]

フジテレビの「直撃!シンソウ坂上」(木曜後9・00)が24日に放送され、急性骨髄性白血病のため2005年11月6日に38歳の若さで亡くなった歌手の本田美奈子.(本名:工藤美奈子)さんが生前に書いた闘病日記の中身や今でも母がそのままにしているという自室が公開されたようです

 本田さんは16歳の時に原宿でスカウトされたことをきっかけに18歳だった1985年、「殺意のバカンス」でアイドル歌手としてデビュー。その後、ミュージカル女優へ主戦場を変え、圧倒的な声量と歌唱力で観客を魅了した。だが、2005年1月に白血病を発症。しかも、それは白血病の中でも200万人に1~2人という稀な症状だった。

 無菌室での生活を強いられた闘病生活は過酷で、抗がん剤の影響で髪はすべて抜け落ち、常にバンダナ姿。実母である工藤美枝子さんによると「青カビみたい」な口内炎ができ、水も飲めない状態だった。「それでもいつも明るくて」と美枝子さん。レコード会社が同じだった演歌歌手の友人、坂本冬美(51)は「私たちは天使だと思っている。本当に誰にも嫌な印象を与えない人だった」とその人柄を振り返った。

 臍帯血移植手術により、一時は劇的に回復。約200日ぶりに戻った自宅では「菌が怖い」と桃を食べるにも熱湯消毒するなど細心の注意を払って生活した。だが、退院からわずか1カ月後の8月31日に再発が判明。「その時は頭が真っ白になったと同時に美奈子の顔が見れませんでした」と母は振り返る。医師からは1日後の再入院を勧められたが、本田さんは1日ではなく3日の猶予がほしいと主張。その間、本田さんが自室の片付けをしていたことに、母は本田さんの死後気づいたという。

 再入院の前夜には「マッサージしてあげる」と言い、最愛の母にマッサージを施した後で母のふとんに入ろ一緒に眠ったという本田さん。だが、再入院から2カ月後の11月に息を引き取った。

 番組MCの坂上忍(51)は本田さんの故郷である埼玉県朝霞市に昨年9月オープンした「本田美奈子.ミュージアム」で母から渡された本田さんの闘病日記を「見ていいんですか?」と受け取ったが、再発が告げられた当日の「ショックでショックで…」「何故 何故」「また辛い治療なのかな」「いつになったら私の周りにいる愛する人を安心させられるの?」といった魂の言葉に絶句し、たまらず涙。黙って聞いていた坂本も大粒の涙を流した。

 また、闘病中には本田さんがファンだったという歌手・福山雅治(49)らが本田さんの復帰を願って作った歌詞のない楽曲が福山によって「ラララ…」で歌われ、その様子を映したビデオレターが届いたことも。歌詞がなかったのは、回復した本田さんに歌詞をつけて歌ってほしいというアーティストたちの願いが込められたからだった。本田さんはこのビデオレターを見て号泣。「耳に残るし、素敵ね」と話していた。死から1年後には本田さんが書いたメモをもとに歌詞がつけられ、「wish」のタイトルでリリース。本田さんと同学年の坂上は「1回会ってみたかったな…」と話していた。
タグ:本田美奈子

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