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ショーケン [芸能]

“ショーケン”が亡くなった。享年68、早い旅立ちだ。

いまさらだが、萩原健一さんがなぜ“ショーケン”と呼ばれていたか?

“ショー”は“小さい”という意味だ。彼がグループサウンズ(GS)時代に六本木で遊んでいた不良仲間に2人の“ケン”がいて、3人の中で彼が一番小さかったからだという。そして、不良の小さなケンは芸能界で売れてからもずっと“不良”だった。

もっとも、GS全盛期はGS自体が不良の象徴みたいに見られていた時代。GSのコンサートに行くことが校則違反とされていた中学、高校も多く、コンサートに行ったことがバレて、停学処分になった生徒もいたほどだ。しかし、彼のような“アウトロー”は不思議な魅力を秘めていて、ときに“ヒーロー”となることがある。彼に憧れ、惹かれるファンは多かった。そんな彼の不良ぶりはGSを辞めた後もたびたび発揮された。

83年に大麻不法所持で逮捕されたのを皮切りに、2度目は翌84年。飲酒運転で人身事故を起こし、業務上過失傷害で逮捕。3度目は04年、再び交通事故を起こし、業務上過失傷害で現行犯逮捕。4度目は主演映画のプロデューサーとトラブルになり、05年にプロデューサーを恐喝したとして逮捕された。

そんなことから、芸能界では“やっかいな奴”“あぶない奴”と見られていたのだが、取材するメディアにとっても“取扱い注意”の人物だった。

写真週刊誌全盛の85年のこと。萩原さんは、倍賞美津子とのキス写真を撮られると、激昂し記者とカメラマンに暴行を働いたのだった。その事件以降、スキャンダルで取材に赴く記者たちは、戦々恐々としていた覚えがある。あるワイドショーのスタッフは、自宅に行き彼を取材しようとしたときに、テレビカメラを奪われ、逆に撮影されたことがある。シャレだったのかもしれないが、スタッフが焦ったのは言うまでもない。

私が『FRIDAY』の記者だったとき、何度か彼を取材する機会があった。いや正確には取材に向かう機会があった。写真誌の取材といえば、芸能の場合はたいてい張り込みと直撃だ。取材の内容といえば、スキャンダルに関することが多く、当然だが、当人は話などしたくないだろう。直撃したら、彼はきっと激昂するに違いない。殴られるかもしれない。そう考えると、胃がキリキリ痛みだしたものだった。

それでも現場に着いてしまえば、もう観念するしかないのだが、心のどこかに「現れないでほしい」という気持ちがあったのは否めない。結果は、幸いと言ったら叱られるが、1度も姿を見ることはなかった。ところが、それから何年かたって、取材という形ではなかったが、萩原さんに会うことができた。

私が出演していた、関西ローカルのニュースバラエティ番組に、彼がゲストで呼ばれ、“念願”の対面を果たせたのはよかったのだが、そこで驚愕の出来事が起きてしまった。

本番がスタートし、彼の出世作『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)について、MCから話をふられると、開口一番彼の口から飛び出したのは、“ボス”石原裕次郎さんを誹謗する言葉だった。それも、にわかには信じがたい話。何か、彼の中に長年閉じ込めていたものが、一気に噴出したようにも見えた。

笑いがあふれるはずのバラエティー番組のスタジオに、重い空気が立ち込み始めた。出演者、スタッフは皆凍り付き、スタジオにいた一般観客は唖然としていた。プロデューサーの顔から血の気が引いていくのが見てとれた。生放送でなかったのが幸いだったが、後日放送された番組を見たら、彼の話している場面はほとんどカットされていた。
彼は、殉職という形で『太陽にほえろ!』を降板するのだが、本来は主役として出続けるはずだったという。後に、同ドラマで共演した高橋惠子が語ったところによれば、降板は本人の希望で、理由は、ひとつの役のイメージが付きまとうのがイヤだからということだったらしい。だが、前出の番組で彼が発した言葉を聞く限り、裕次郎さんとの共演がよほどイヤだったのではないかと推測される。不仲説が囁かれたこともあったが、どちらかといえば萩原さんが一方的に嫌っていたようだ。

そんな彼も、4度目の結婚をしてからは、「すっかり角が取れて丸くなった」と言われていた。

それを実感したのは、ある日、某ホテルのロビーで偶然出会ったときのことだった。向こうから声をかけられたときは、一瞬身構えてしまったのだが、会話中、彼は笑顔を絶やすことがなかった。

そのときは、ほっとした反面、“鋭利なナイフ”みたいなショーケンをもう見られないのかと、ファンである私は少しさびしい気がしたのだった―――
タグ:ショーケン

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