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松田聖子 [芸能]

さる3月4日、松田聖子(57)の姿は、故郷の福岡県久留米市の市民ホールにあった。デビュー直後を除けば実に38年ぶりの凱旋公演。地元のファンに向けて「今日は久留米弁で話すね」と語りかけたそうです

 蒲池法子が松田聖子を名乗り始めて40年の月日が流れようとしている。そのキャリアの中で、聖子はヒット曲を通じ、時代を画してきた。他方、少なくない男たちと浮名を流し、それが母や娘との相克を生んだのも事実だろう。

 85年、郷ひろみと破局した際に飛びだしたのが、

「生まれ変わったら、一緒になろうねと話し合った」

 という“名言”だが、後に郷はこれが彼女の創作だったと明かしている。

 郷との破局を涙ながらに公表してからわずか3カ月後、神田正輝との婚約を発表した際には、

「この人なら一生ついていけると思いました。私が仕事をすることにも理解を持ってくれていますが、当分は、主婦業に専念したい」

 と一転、笑顔で話した。“聖輝の結婚”などと話題をさらったものだ。

 翌年に娘の沙也加(32)を出産。しかし、その結婚は干支ひと回りして破綻する。

「私が女性、妻として正輝さんに、きちんとしてあげられなかった。至らなかった」

 とは離婚会見での言葉だが、芸能デスクによると、

「仮面の期間が長かった夫婦でした。たとえば彼女は、NYから“ジェフ君”と呼ばれる愛人を呼び寄せて、人目も憚らず、自宅に近いフランス料理店などで逢瀬を重ねていました。小学校に上がる前の沙也加をデートの場に同席させて、ジェフを“パパ”とまで呼ばせたほど。仕事と恋愛で忙しかった彼女に代わり、沙也加を実際に育てたのは、聖子の実母。この時期の彼女の振る舞いが、後に、娘との関係に亀裂を生じさせることになります」

五輪で国家独唱を
 破局原因の一つと目された“ジェフ君”だったが、その後、彼と結ばれたわけではない。別の白人ダンサーとの“二股不倫疑惑”が持ち上がり、彼とも長くは続かなかった。結局、彼女が再婚相手に選んだのは歯科医の波多野浩之で、

「会った瞬間、ビビビときた」

 というコメントを、神田との離婚から1年4カ月後に公表。“ビビビ婚”の流行語も生んだものの、00年に2度目の離婚に至っている。

「波多野さんとの離婚後、ミュージシャン・原田真二との熱愛が報じられましたが、元スポーツトレーナーの男性を見初め、マネージャーに据えるようになります。一方で04年、沙也加に12歳年上の男性との交際が発覚すると聖子は交際に猛反対。母娘関係が決定的にこじれてしまった。沙也加からすれば、“お母さんばっかり自由に恋愛できてズルい”となるのも当然。結局、沙也加は芸能活動の休止を余儀なくされ、生活費の仕送りも止められてしまうほどの事態になりました」(前出デスク)

 長く断絶が続いたが、11年には紅白で母娘デュエットを実現し、和解を演出した。とはいえ、17年に沙也加が俳優の村田充と結婚した際には、結婚式及び披露宴に聖子は不参加。

「今に至るまで、彼女は娘の結婚にきちんとコメントをしておらず、母娘のシコリは残っているはず」(同)

 もっとも、彼女が抱える葛藤は一つではない。実の母との間にも……。

「聖子は歯科医で慶応大学准教授の男と3度目の結婚をしています。12年、50歳の節目ですね。一方でその後もかねてから噂になっていたマネージャーの男性とのただならぬ関係がささやかれました。実際、14年には母親と二人三脚で運営してきた個人事務所を退所し、そのマネージャーの男性と新事務所を立ち上げています。その頃、母親が娘の家を出たこともありました」(同)

 傘寿を過ぎた母親が家出とは穏当には聞こえないが、昨年になって両者は和解。差し当たって、彼女のそばには実母が付き人のように寄り添っているという。そこには、さる芸能事務所幹部が言うように、

「聖子は“東京五輪で国歌独唱をしたい”と話している。その目的のために少なくとも、聖子夫婦と母は一致団結しているんです」

 といった共通の目標があるようだ。

(文中一部敬称略)

「週刊新潮」2019年4月25日号 掲載
タグ:松田聖子
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